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…… 三彩陶器 ……

اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ

アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)




 85年の春、初めてのカシュガルをうろついていた時、目に入ってきたのが焼き物バザールでした。

 出版が近いカシュガル紹介本によりますと、現在地にあるカシュガルの焼き物バザールは、400年以上の歴史があるとのことです。

 店外に雑然と置かれてあった焼き物は、小さな茶碗から大きな水瓶までありましたが、その色遣いに驚きました。

 一見、日本の美濃焼(織部、黄瀬戸)のような見慣れた焼き物がそこにありました。


 751年、アラブ(アッバース朝)と唐との戦いが、現在のカザフスタン領天山山脈西北麓のタラス河畔でありました。

 敗れた唐軍の捕虜に紙漉き工がいましたので、イスラーム世界に製紙法が伝授されたことは有名です。
 また、捕虜の中に陶工もおり、唐三彩技法が伝授されて、後のペルシャ三彩になったとも言われています。


 そのカシュガルの焼き物を見ながら、もしかしたら、タラス河畔の戦いでアラブ軍の捕虜となった唐軍の陶工とは、カシュガル出身者ではないかと夢想しました。

 唐軍と言っても編成は西域少数民族の寄せ集め軍隊でしたから、唐軍の先頭に立ったのは、当時、カシュガル方面に居住していた、トルコ系のカルルク(現在のカシュガル人祖先?)であったろうと思います。

 歴史書(資治通鑑)には、このカルルクがアラブ軍に寝返ったことにより唐軍が敗れた経緯記述があります。
 今も昔も、カシュガル・ウイグルの日和見主義的な生き方は変わっていないようです。
 

 トルファン出土の唐三彩から推測しますと、洛陽で興った唐三彩(初期唐三彩は専ら皇族、貴族の明器=墓副葬品)が、トルファンでも焼成されていたように思われます。

 もしかしたら、630年頃、インドへ向かう途中、トルファン(高昌国。640年滅亡し唐の版図となる)に立ち寄った唐高僧・玄奘三蔵が、トルファンで作られた墓副葬品の唐三彩(三彩陶器は2000年ほど前の「漢三彩」が起源とされる)を見た可能性もあると思います。

 トルファンで作られた唐三彩が、やがてソグド商人によってカシュガルに伝わり、現在の実用器物の 「カシュガル三彩」 として生き残っているのではないかと想像します。


 遣唐使や留学生・僧によって唐三彩が将来され、やがて日本で最初に釉薬をかけて焼いたとされる奈良三彩が製作され広まったのも同時期であったことでしょう。

 そして、奈良三彩の影響で後年、キリシタン大名で千利休の弟子・古田織部が考案したとされる織部焼が生まれたとのことです。

 もっとも織部焼は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役 1592~98)で連行されて来た李朝の陶工たちが、日本各地に窯を開き技術を伝授した結果であることは疑う余地はありません。

 ですから、「カシュガル三彩」 と織部焼は遠い親戚であると無理矢理結論づけました。
 
 こじつけで恐縮ですが、カシュガルと日本の三彩が時空を超えて繋がりました。


  注: 「カシュガル三彩」 の命名は便宜上。唐三彩の西域来歴記述は推測。




写真1: 85年春に買った 「カシュガル三彩」 の茶碗
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写真2: 焼き物バザール。どこも外に陳列している
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写真3: 今年開業した食堂が使う特注オリジナルの 「カシュガル三彩」 どんぶり
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江上鶴也
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# by oghuzkahan | 2007-04-04 20:46