カテゴリ:未分類( 28 )

(8)


…… 薬  茶 ……

اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ

アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)


 5年程前、京都のある名刹からだったか、ウイグルのお茶作法についてのお問い合わせがあったのですが、軽々にもウイグルには特別な作法もお茶菓子もないと回答したことがありました。

 ウイグルは古来より、ウイグル本草学を基に乾燥薬草をお茶代わりにしたり、お茶に加えたりして、家庭で手軽にできる病気治癒や健康促進のためにと飲用しています。

 ただし、健康促進のための飲用であっても、季節によって薬草の種類や量が異なったり、持病等があれば薬草の制限などもあるとのことです。
 また、容量を間違えると逆効果になるため、飲用量には十分注意をするようにとのことです。

 102歳で他界したという妻の母方祖母は、日頃、薬茶を愛飲していたとのことです。

 カシュガルから南東約500㎞に位置するホータン地区の特産薬草を、日本で輸入販売している会社の効能書きに、「人口10万人当たり100歳以上の比率が世界で4番目に多く、ホータンは世界長寿郷の一つである」 とあり、長寿の秘訣が販売している特定の薬草であるとしています。

 最近もブドウが長寿の秘薬らしいとの報告がありました。
 ある成分が健康に良い効果があることは分かりますが、特定の食物を摂取するだけで長寿になるとは考えられません。

 個人や社会が常に健康や福祉を考えており、全ての面に対して十分な保証や対応がされているような、生活全般に渡ってレベルが高い社会であれば長寿社会は実現すると考えます。

 そんなことから、シルクロードの人々が長寿とは到底考えられません。
 ホータンに100歳を超えたウイグルがそう何人もいるというのは信じ難いです。

 薬草が病気治癒や健康促進に貢献していることは疑いの余地はありませんが、ホータンが長寿郷とするには、大いに疑問があります。

 政府機関で住民の正確な生年月日が把握されるのは、文化大革命終了以後の70年代末からだと思いますので、年齢自己申告は当てになりません。

 また、食生活や気候風土からウイグルは実年齢よりもかなり老けて見えるのが普通です。

 骨年齢検査など科学・医学的に検査をすれば、ホータンが長寿郷であるか否かが証明されますので、私の疑問は払拭されます。

 科学的調査により、世界の長寿郷地図が塗り替えられるかも知れません。
 
 10年程前、「世界お茶会議(フェスティバル?)」 が韓国で開催されましたが、開催数日前に参加すると言うウイグル女性と北京・中央民族大学で歓談した際、北京在住のホータン出身ウイグル男女2人が参加し、ホータンのお茶事情を紹介するとのことでした。
 きっと、ウイグル薬茶と長寿について発表されたのでしょう。

 ウイグルは常日頃、薬茶を飲用していますので、いつか薬茶が長寿に繋がると証明されれば、世界中の耳目を集めることになるでしょうが、本当の100歳以上探しが先決です。
 


写真1: 薬茶について書かれた本
f0117129_2342963.jpg

写真2: ウイグル薬種店(セクセンハルタ)。 大バザール内
f0117129_17332970.jpg

写真3: 絨毯の絵柄。お茶を淹れる婦人
f0117129_23415227.jpg


文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.

江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-12-16 23:46

(7)


…… お  茶 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)


 水は飲料用には一度沸かします。
 食事時、ウイグルはお茶を飲むのが普通なのですが、妻宅では白湯を飲み、お客があればお茶を淹れます。
 倹約しているわけではないのですが、妻はお茶の匂いが嫌いですので、家族も従っています。

 お茶はウイグル語で 「チャイ」 と言い、チャイは広東語の 「チャ」 が訛ったものと言われています。

 日本でチャイと言うと、インドの甘いミルクティーが有名ですが、インド周辺に限らず、中央アジア、中東、ロシア、北アフリカでも、チャイの呼称でお茶が愛飲されています。

 ウイグルは従来、廉価な湖南省産の茯茶(緑茶を自然発酵させた黒茶の一種)を飲用していました。
 茯茶は、アミノ酸、ビタミン、ミネラル、食物繊維などが豊富に含まれており、現在でも野菜不足がちなので、補う意味からも貴重な飲物です。

 中国内に居住するウイグルと同じトルコ系のカザフ、キルギス、またモンゴルやチベットでも茯茶を飲用しているとのことです。

 しかし、茯茶にするのは屑茶や枝茶のため、粗雑に扱われ、「収穫中にオシッコをかけられた茶葉も混ざっている」と、十数年前の新聞記事が噂となって茯茶の悪いイメージが広まりました。
 「そんな汚いお茶は飲みたくない」 と、今では紅茶が広く飲用されるようになっています。

 ウイグルはとてもユーモアのある話し好きですから、小さな出来事でも面白可笑しく話に輪を掛けますので、噂話がまことしやかな事件となって広まったりもします。

 茯茶の新聞記事は本当なのでしょうが、ウイグル商人が紅茶を広めるために、「茯茶は汚い」 と、風説を流布させたのではないかと勘繰ってもいます。

 茯茶をウイグル語ではカラ・チャイ(黒・茶)といいます。
 紅茶はキズィル・チャイ(赤・茶)と中国語の直訳ですが、以前はパミル・チャイと言っていました。

 パミル・チャイとは、パミール山脈の向こう側のチャイという意味だと思っていたのですが、郷土史家に尋ねましたら、「パミルチャイとパミール山脈とは無関係であり、昔はインドとの交易があって、湖南省の茯茶が来るまで、インド紅茶を飲んでいた」 とのことでした。
 
 新唐書・陸羽傳に 「回紇(古代ウイグル)と茶馬交易した」 と記載があります。
 
 唐、宋、明時代、茶馬交易をしていたので、ウイグルは現在と同じ茯茶を飲んでいた可能性があります。
 
 インドでお茶栽培されるようになるのが19世紀半ばですので、もしカシュガルにインド紅茶が将来されたとしたら19世紀後半になるのでしょうか。

 19世紀後半にムスリムの反乱があり、カシュガルを中心に数年の短命王国を築きますが、清の茯茶を嫌って駆逐させ代わってインド紅茶を飲むようなったのでしょうか。
  
 かつてカシュガルにイギリスやロシアの領事館があった頃、外交官はインド紅茶を飲んだでしょうが、ヘディンやスタインなど西域探検家はカシュガルでどんなお茶を飲んだのか興味があります。

 ウイグルの生活と文化に深い関わり合いのあるお茶について思い巡らせていますと、歴史の表には立たないウイグルの生活変遷が垣間見られるような気がします。
 


写真1: お店で販売されているお茶。下段左端と中央の紙包みが茯茶(カラ・チャイ)
f0117129_186314.jpg

写真2: キズィル・パミル・チャイとウイグル語表記がある
f0117129_1295637.jpg

写真3: お茶販売会社の車。カスカン通り(職人街)
f0117129_2202144.jpg


文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.

江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-12-11 16:14

(6)


…… 水 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)


 降雨が少ない乾燥地カシュガルでは、水が貴重であることは推して知るべし。

 現在、カシュガル市内の上水道は普及しており各戸に設置されています。
 また、下水道は高層住宅では普及されていますが、平屋は一部未設置もあります。

 公衆トイレは有料(2~3角=3~4.5円)で当然水洗トイレです。
 水洗では無かった昔の公衆トイレは、臭くてしかもドア無しでしたから、ホテルまで我慢するしかありませんでした。

 20年ほど前は、上水道がほとんど普及しておらず、共同水場に水を買いに行っていました。
 バケツ1杯が2分(=2円弱、当時は1元=約90円)でした。

 各戸にはトタン製水タンクや陶器製水瓶があり、満たすと数日間持ちますので、満杯になるまで何度も往復していたとのことです。

 以前ほどではありませんが、現在も年に数回、予告無しの断水がありますので、妻宅には不測に備えて大きなトタン製の水タンクがあります。

 水運びはほとんどが女性と子供の仕事で、11月下旬には最高気温が零下の真冬日になりますので、寒い中、水運びは大変だったようです。

 大人は子供に何だかんだとよく手伝いをさせています。
 子供は従順で大人の言うことに不平一つ言うこともなく手伝いをしています。
 このすごく自然な立ち振る舞いを側で見ていて気持ち良いです。
 翻って、日本では子供が喜んでお手伝いをしているとすれば、犬猫の世話くらいでしょうか。
 何でも良いから子供に手伝いをさせることは立派な教育であることが分かりました。

 さて、妻宅は上水道設置資金がありましたので81年と早く、当時、路地居住区では家に水道があったのは2軒のみだったとのことです。
 水洗トイレにしたのは02年と最近のことです。

 水道代は原則メーターで決めるらしいのですが、水道や電気のメーターは操作し易いことから、実際の水道料金は家族数で決めているとのことです。
 妻宅は私を入れて4人家族ですので、1ヶ月6元(=約90円)ほどです。



写真1: 共同水場で水を買う(1985年)
f0117129_1938612.jpg

写真2: バケツ運搬車を使って一人でバケツを運ぶ(1985年)
f0117129_19383450.jpg

写真3: トタンの水タンク作製。カスカン通り(職人街)
f0117129_1955435.jpg



文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.

江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-12-06 19:49

(5)


…… 雨  後 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)


 ふた昔前、雨の日、私が日本から持って来ていた折りたたみの雨傘を珍しがられました。
 「カシュガルでは強い雨も長雨も降らないから、傘は要らないのだ」 と言われました。
 ただ、土道がぬかるみになるのでゴム長靴があれば便利なのだがと思いました。

 妻が日本滞在中に、「日本は雨が多いから木の葉も綺麗なのだ」 とよく言ったものです。

 カシュガルの木の葉は、粉末のような土埃がこびり付いており、光合成するのも困難であるかのようで痛々しいのですが、もしかしたら、土埃が葉の表面を乾燥の脅威から守ってくれているのかも知れません。 

 カシュガルでは雨は夏に多く、カラカラに乾いた大地を潤してくれる、まさに天の恵みです。
 大気の砂埃を洗い落とし、束の間の湿り気と澄んだ空気をもたらしてくれる雨は大歓迎です。
 中庭の植木に水をやる手間も省けます。

 ところが、カシュガルの街中で暮らしていますと、その干天の慈雨が時としてうっとうしいこともあります。

 雨後の路面に雨が溜まっていますと、始末するのにいつもの掃除より労力も人手も要ります。
 力仕事でもありますので男手がある方が仕事がはかどりますし、子供も頼りになりますので、家族総出の労働です。
 もし、老人所帯や母子家庭などで人手がなくても、イスラーム教も町内制度も相互扶助が周知徹底されていますので、ご近所が助け船を出してくれます。

 「雨降って地固まる」 ならぬ、「雨降って地域結束なる」 です。

 助け合いの精神は、ムスリム(イスラーム教徒)の義務の一つであり、善行を積むことにもなりますので、住んでいる地域だけに限らず、困った人を助けるのは当然のこととされています。


 カシュガルのウイグル社会の根底にあるものは、地縁血縁と信仰だと思います。

 今日の日本のように人との関わり方も信仰心も薄れている社会で育った人間との違いは、何か大事にぶつかった時の対処の仕方で分かると思います。

 例えば、商業の民でもあるウイグルは、代々若くして異国へ出向いて居を構え、営々と商売に励み、商業ネットワークの拠点を築いて故国の本拠地との連帯を作り上げていたようですが、裸一貫の異国人相手商売とネットワーク拡大は、まさにウイグルの生育環境に因り獲得した潜在能力を上手く引き出せた結果なのだろうと考えられます。
 
 黙々と雨の後始末を続けるウイグルを傍観していますと、彼らのまるで天賦であるかのような商才は、日々の生活の積み重ねにより身に付いたものだ、とつくづくそう思います。



写真1: 雨の翌日早朝は大変、いつもの掃除よりも労力を使う
f0117129_20284775.jpg

写真2: コンクリート六角板を剥ぐにはかなりの力仕事になる
f0117129_20291062.jpg

写真3: 何気ない労働が地域の結束を固める 
f0117129_20292935.jpg



文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.

江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-12-03 22:03

(4)


…… 路面の六角板 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)




 現在、カシュガルにある路地の隅々には六角形のセメント板が敷かれています。

 確か、新疆ウイグル自治区成立30周年に当たった85年10月1日前後から順次、セメント板が敷かれるようになったと記憶しています。

 当時、各戸には上下水道設備がなく、食事準備や食器洗浄後の汚い水を捨てるには、大きなバケツに入れたものを共同水場にある汚水捨てのマンホールへ捨てていました。

 少量の汚れ水は、路地の土道に撒き捨てていました。
 土に撒くと染み込んでしまいますし、乾燥地のため湿った路面は直ぐに乾いてしまいますので、匂いもしないのです。

 しかし、六角形のセメント板を敷き詰めた路面に汚れ水を撒きますと、直ぐには乾かず、匂いも残るようになりました。
 路地居住区各地で汚水撒き散らしによる争い事が増えましたので、汚水は共同水場のマンホールへ捨てることと通達されました。

 そんなこともあってか、各戸の上水道設備に拍車がかかったのではと思います。

 上水道が設けられて家庭から出る汚水問題は解決しましたけれども、雨水にはお手上げです。

 カシュガルは大乾燥地帯に位置し、降雨量は年間100mm以下と少量なのですが、夏季、たまに強く降ることがあります。

 雨後、六角形セメント板の路面が少し低くなっている所に雨水が溜まります。
 雨が上がって自宅前の路上に雨水が溜まっていたならば、直ぐにもきれいに片付けなければなりません。

 雨水に限らずゴミ、砂なども同様で、ご近所や通行人が気持ちよく暮らし通行できるようするために清掃しなければ、争い事の種にもなりますから、放って置くと役所から清掃するようにとの指示もあります。

 そんなこともあってか、日の出前礼拝を終えた女性達の一番の仕事は、自宅前の路上と中庭の掃除です。

 妻宅前路上がほんの少し窪んでおり、雨水が溜まりやすくなっていますので、雨脚が強ければ、ご近所の人たちと世間話しながらの清掃労働があります。

 雨を渇望している大乾燥地帯に居りながら、雨水の処分をしなければならないとは皮肉な話です。




写真1: 路地には六角形セメント板が敷かれている
f0117129_1491461.jpg

写真2: 汚水をカスカン通り(職人街)のマンホールへ捨てに行く婦人
f0117129_1494548.jpg

写真3: 妻宅前に溜まった雨水を息子と後始末をする
f0117129_1502092.jpg



文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.


江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-11-23 01:53

(3)


…… 路地の運命 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)




 路地居住区の各戸門扉を入ると、こぢんまりとした中庭の空間が広がります。
 中庭は、接客する場や、食事や歓談や遊びをする憩い・癒しの場になります。

 そこは、狭いながらもイスラーム伝統建築としての空間が色濃く醸し出されており、何かしらゆったりとしたゆとりのようなものが感じられます。
 
 これこそが悠久の歳月が生み出した文化なのだなと一人感じ入っています。
 
 この中庭のすばらしさは、ウイグルの「婿」となりカシュガルの妻宅住まいをするようになってから実感できました。
 ただし、この空間を身近に感じられるようになるまではかなりの時間を要しました。

 数年前のことです。
 妻宅がある路地居住区の一部を区画整備を理由に取り壊すとのお達しがありました。

 最近、上海で日本企業が突然、立ち退きを要求されたとのニュースがありましたが、中国では突然の通達で有無を言わさぬ強制立ち退きが多々散見され、土地を巡る地方政府と住民間の衝突が頻繁に起こっています。

 妻は、どうせ立ち退きになるのならば家を修理しても無駄だし、この先どうなるのかしらとしばらく様子見していました。

 下手に権力者に盾突いて恨みを買い、挙句の果てに完膚なきまでも報復されてしまうような目に遭うよりも、泣き寝入りした方が無難なこともあります。

 どうしても納得がいかない場合は、地方の裁判所に訴えても無駄に終わることが明らかですので、北京の中央政府へ陳情に出向き正義を問います。

 それで、連綿と積み重ねてきた愛着のある路地生活を奪われてしまう危機感が、住民を猛烈な抗議と直訴に駆り立てました。
 路地住民の陳情が運良く北京の中央政府を動かしたとのことです。
 
 その結果、取り壊しは中止となり、辛うじて路地生活文化を守り続けていけることになりました。

 安堵した路地居住区の住民たちは、堰を切ったように新築、リフォーム、下水工事などをしだしました。
 同様に妻もキッチンやトイレ・シャワー室を作り直しました。

 都市化への土地の有効利用、災害予防、景観等々の理由で、いずれは狭い路地も取り壊されて高層集合住宅林立へと変貌するのではないかと危惧を抱いていますが、杞憂であって欲しいと切に願っています。

 来年3月に全国人民代表大会(=中国国会)で、物権法(私有財産不可侵の権利制定)が成立する見込みです。
 今までのように地方行政が権力に物を言わせて、問答無用で土地収用することはできなくなるとの朗報があります。




写真1: 中庭で食事の準備をする妻
f0117129_148177.jpg

写真2: 中庭から2階を見上げる息子
f0117129_20194389.jpg

写真3: 妻宅近くにある町内会モスクのリフォーム
f0117129_20205712.jpg


文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.


江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-11-20 01:52

(2)


…… 迷 路 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)




 妻宅へはカシュガルの観光名所・通称カスカン通り(正式名称は 「クムデリワザヨリ」、日本語ガイドブックには 「職人街」 と紹介)から路地に入って2分ほどです。

 初めて妻宅を訪れる人には、まるで迷路をたどって来たかのように感じられるはずです。

 世界遺産になっているモロッコのマラケシュやフェズの迷路のように大規模ではありませんが、新疆ウイグル自治区ではカシュガルにしかありません。

 職人街裏の路地は、歴史的にはそれほど古くはないとのことですので、職人街を訪れる観光客が面白みのないこの路地を散策することはほとんどありません。

 私はカシュガルに数カ所ある路地居住区 「迷路」 を散策するのが好きですから、よく、ビデオカメラやフィルムカメラを持って歩き回っています。

 路地で遊ぶ子供たちに取り囲まれてビデオ撮影をじゃまされることが多々ありますが、この子供たちが実にかわいらしくて人懐っこく、色んなポーズをとってくれますので写真のモデルには事欠きません。
 写真が縁で昵懇になり21年来の知り合いが何家族もいます。

 しかし、困ったことにカシュガルの路地居住区の内2カ所は、「歴史景観保護地区」 として不動産会社に管理されており、観光客は入場料を払わねば散策できません。

 アッパクホージャ廟など他の観光名所もその不動産会社の手に渡っているとのことです。

 日本のような安上がりな委託管理だとは考えられません。

 そもそも歴史的建造物は、市の財産であり、住民共有のものでもありますが、市のお役人は文化遺産価値が分からないのか、観光事業に疎いのか、市政に対して大いに疑問を抱いています。

 自然や歴史文化遺産を保護管理し後世に伝えていくのも行政の役目です。

 市政批判を公にすることは憚られますが、お役人たちが上手く丸め込まれた結果なのだろうと想像に難くありません。

 私としては、大好きなカスカン通り(職人街)と妻宅がある路地居住区が、ウイグル生活文化の息づく地区として、後生まで生き残ってくれるようにと祈るばかりです。




写真1: カスカン通り 「職人街」 からこの路地を抜けて妻宅まで2分
f0117129_1191483.jpg

写真2: いつも子供たちにビデオ撮影をじゃまされる
f0117129_119383.jpg

写真3: 不動産会社が管理するカシュガルの路地居住区入場券売り場
f0117129_120462.jpg


文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.


江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-11-20 01:22

(1)


…… ウイグルの一員 ……


اَلسَّلامُ عَلَيْكُمْ


アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)




 「ウイグルの生活と文化」 と題しまして、あくまでも個人的体験に基づいたシルクロード・カシュガルに生きるウイグルの日常のごく一部分を、毎回、思いつくままにご紹介します。

 独断や偏見、また説明不足と思える表現箇所があり、読者諸氏に不快感を与えることがあればお許し下さい。

 「ウイグル人」、「ウイグル民族」 などのように、敢えて強調する以外は、「ウイグル」 と統一しますのでご了承下さい。

 また、「ウイグル」 で検索しますと豊富な情報が得られます。

 駄文 「ウイグルの生活と文化」 が、ウイグル資料としてお役に立てれば幸甚です。


 さて、私は85年4月より日本とカシュガル(中国新疆ウイグル自治区)を往復しています。
 ウイグルと出会って21年半になります。

 98年8月、イスラーム教に改宗し、モスリム(イスラーム教徒)になったと同時に挙式しました。
 妻はもちろんカシュガル出身のウイグルです。
 新居をウルムチ(新疆ウイグル自治区首都)で構えましたので、息子はウルムチで生まれました。
 息子は現在、カシュガルのウイグル小学校に通っています。
 将来、私ども両親の意志を受け継ぎ、日本とウイグルの友好に寄与してくれればと願います。


 現在、カシュガルの妻宅で起居しています。

 シルクロードに興味ある方々から羨望の的とされるかも知れませんが、私はウイグル家庭の一員として暮らしています。

 妻宅は、カシュガルの中心地にあるエティガモスクから徒歩5分程の、通称、カスカン通り(正式名称は「クムデルワザヨリ」、日本語ガイドブックには「職人街」と紹介)の裏手路地にあります。

 路地は通りから離れているため人通りが少なく、車の音も聞こえてこない頗る穏やかな生活空間が広がっています。
 その空間を緩やかに流れていく時間が、住民を和やかな生活リズムに導いているように感じます。

 夏の午睡後、こぢんまりとした中庭で、すこぶる甘露なメロンやスイカを頬張りながら日向ぼっこをしていますと、一瞬、中世にタイムスリップしたかのような感覚に襲われることもあります。

 しかし、路地に響き渡る物売りの声で、つかの間の忘我の境地から現実世界に引き戻されてしまいます。




写真1: カシュガルの中心地にあるエティガモスク
f0117129_2351511.jpg

写真2: とても甘いメロンとスイカ。1個50円前後
f0117129_23513541.jpg

写真3: 物売り。路地にはいつも物売りの声が響く
f0117129_23521241.jpg


文・写真の無断転載厳禁
copyright © 2006 ウイグルの生活と文化 all rights reserved.

江上鶴也
[PR]
by oghuzkahan | 2006-11-20 00:01