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(28)


…… 杏(アンズ) …… 

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アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)



 
 5月の末からカシュガル各地に杏(アンズ)売りの姿が現れました。
 7月初旬まで、色んな種類の杏が売られます。

 6月初旬、カシュガル中心地から車で20分ほどの距離にあり、カシュガル鉄道駅を経て空港へ向かう道路傍に位置する、カシュガルの果物郷と言われる農村の妻親戚農家を訪問し、最盛期の杏狩りを楽しみました。

 妻親戚農家は果樹園を持ち各種果樹を栽培しています。
 私の好きな緑色ブドウはやっと実を付けたところでしたので、1ヶ月後のお楽しみとなりました。

 杏は木を揺らしただけで容易に落下します。
 杏の木の辺りには自然に落下した杏が多数ころがっていました。

 日本でしたら人間より先に野鳥や小動物がやって来て横取りするのでしょうが、ここでは横取りするのは人間だけのようですから、果樹園の門扉はしっかり施錠してありました。

 杏は食べ放題で、杏にこびりついた砂塵を洗い落とすこともなく食べまくりましたので、12時間後、苦しむことになりました。

 当地の果物は、メロン、スイカ、ザクロ、桃 以外は皮ごと食べます。

 妻は、料理に使うからとまだ熟していない青い杏も強引にもぎ取っていました。

 夕方、妻宅に戻ってからも、妻の静止を聞かず、お土産にもらった杏を頬張り舌鼓を打ちました。

 結果、夜半からお腹の調子が悪くなり、数日下痢が続きました。
 杏を食べると下痢をする人もけっこういるようです。
 そのためか、数年前から息子は杏を口にしなくなりました。

 ウイグルはナンと一緒に果物を食べるとお腹を壊さないと言います。
 
 一見、アーモンドに似た杏の種の仁を杏仁と言い、鎮咳薬、去痰薬になります。
 
 杏仁を粉にしたものを寒天で固めて作ったデザート、「杏仁豆腐」 は中国内地で食したことがありますが、ウイグルは杏仁を使った食べ方はせず、アーモンドと同じように杏仁をそのまま食べます。

 歯の丈夫なウイグルは、杏を食べた後、種を歯で割り中の杏仁を食べます。
 日本で言えば、梅干の種を歯で割って中の仁を取り出すようなものですが、真似をすると歯が欠けますので十分ご注意を。
  
 杏をドライフルーツにしたものも年中食します。

 夏はその乾し杏を氷水に浸した水が売られます。

 ですから、当地では年中、杏を楽しんでいます。

 しかし、ジュースにすることはありません。
 ジュースにするのはザクロだけです。

 新疆ウイグル自治区は大乾燥地帯ですから、果物は糖分が凝縮されており甘味が強く、一度味わうと虜になってしまいます。

 100%ジュースやジャムにして中国内地や外国に売り出せばと思うのは他所者の発想でしょうか。


 5月末、来訪者が来たことを示す、妻宅門扉の呼び鉄輪がガチャガチャと鳴りましたので門を開けましたら、若い女性が杏を盛った皿を手にして立っていました。
 妻が応対すると、娘さんは皿を置くなり帰って行きました。

 娘さんは斜め向かいのお嬢さんとのことでした。

 妻が夜明け前礼拝後、自宅前路上を掃除していますと、娘さんのお父さんが籠に入った杏を持って帰って来たところに出会ったそうです。

 妻宅近くにあるカスカン通り(職人街)では早朝に籠入り杏を売り出します。

 カシュガル・ウイグルの習慣として、自宅に果物など持ち帰る時にご近所の誰かと出会って見られてしまいますと、その相手にお裾分けしなければならないとのことです。

 妻が娘さんのお父さんが杏を持ち帰るところに出会い杏を見てしまいましたので、娘さんが杏のお裾分けを持って来たという訳です。

 後日、私と妻が籠入り杏を持ち帰るのをご近所の女性に見られてしまいましたので、慣習通りにお裾分けしました。

 夏場ですと、スイカやメロンを一度に何個も買いますので、搬入を見たり見られたりしますが、スイカやメロンのお裾分けの遣り取りは少ないようです。




写真1: 5月末から一斉に杏が出回った
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写真2: 乾し杏で味付した冷たい水売り
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写真3: 籠入り杏を選り分ける。ご近所に見られてしまったのでお裾分けした
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江上鶴也
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by oghuzkahan | 2007-06-19 18:20

(27)


…… ウイグルナイフ …… 

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 (あなたに平安を)



 
 カシュガルからヤルカンド、ホータン方面へ向けて車で1時間ほどの距離に、ウイグルナイフで有名なインギサ(英吉沙)があります。

 妻宅近くのカスカン通り(職人街)には、旅行者向けのインギサ・ウイグルナイフ(英吉沙小刀)を売る店もあります。

 カシュガルが古来よりシルクロードの要衝として知られた一因は、良質の鉄が採れるインギサが近郊にあったからと想像するに難くありません。

 ウイグル語で鉄を 「トムール」 と言い、男性の名前にも使われます。

 インギサ・ウイグルナイフの大消費地は言うまでもなくカシュガルです。
 しかし、最近ではナイフ類の消費がめっきり減ってしまい、かつて職人街で刃物類を扱っていた店主は、旅行者向けの土産物屋に商売替えしてからの方が収入になると話してくれました。

 ウイグルナイフの消費が落ちた大きな原因は、民俗文化としてウイグルの成人男性が腰のベルトに鞘付きナイフをぶら提げていたのを、10年ほど前に凶器にもなるからとナイフ携帯が禁じられたからです。

 それ以来、ウイグルナイフは調理場の片隅に置かれ、女性が調理用に使うための刃物として家庭内に閉じ込められてしまいました。

 妻宅にもウイグルナイフが2本あり、調理用ナイフとして使用しています。
 妻は日本滞在中、包丁は使い辛いからと果物ナイフで調理していました。
 妻の影響からか私も包丁は使わず、もっぱら百円ショップで購入した果物ナイフを使うようになってしまいました。


 私が子供の頃に見たアメリカのテレビドラマで、カウボーイたちがパンや肉を切るのみならず、フォークやスプーン代わりに実に器用にナイフを使っているのが格好良く、いつか自分もナイフを片手に食事をしたいと憧れていました。

 大学浪人時代にバックパッキングをするようになり、サバイバルナイフを購入したものの使う機会がほとんどなく、テレビのカウボーイのようには格好良く使いこなせることもありませんでしたので、できもしない真似は止めました。

 その後、スイスアーミーナイフやフランスオピネルナイフを使ってみましたが、ナイフ単体よりもナイフ、スプーン、フォークなどが付いた五徳ナイフが実用的で重宝するため、海外放浪にも使い勝手の良い安物の五徳ナイフを携行するようになりました。

 妻宅にも私が使った30年以上前の五徳ナイフがあるのですが、今では使うことは全くなく、若い頃、共に旅した思い出の品として錆びるに任せています。


 85年春、ウイグルたちが腰からウイグルナイフをぶら提げている姿を見て、かつてテレビドラマのカウボーイのナイフ使いに痺れていた頃を思い出しました。

 早速、小振りのウイグルナイフを腰にぶら提げては悦に入ったのですが、慣れないために邪魔になって仕方なく、終いには布製ショルダー軍鞄に入れて持ち歩くようになりました。

 買ったウイグルナイフは、スイカやメロン、硬くなったナンを切るくらいしか用途がありませんでした。

 ウイグルナイフは鉄製ですので錆び易く、また切れ味も悪くしょっちゅう研ぐ必要があるため、重宝する五徳ナイフには勝てず、やがて手にすることもなくなりました。


 インギサに並ぶ新疆のナイフ産地が、カシュガルとウルムチのほぼ中間地点に位置するシャヤー(沙雅、クチャー南方)です。

 シャヤーの折り畳み式ウイグルナイフ(沙雅小刀)が今様で実用的、デザイン的にも好まれ、また小型なため携行にも適しているために広く使われるようになりました。

 シャヤーの折り畳み式ウイグルナイフは、中国内の各種博覧会に新疆を代表する名産品として出品されて好評を博されました。
 
 従来のウイグルナイフが不調に陥っていたインギサでも、シャヤーの折り畳み式ナイフを真似て生産するようになりました。

 折り畳み式ウイグルナイフは、日本の 「肥後の守」、フランスの 「オピネル」 にも勝るとも劣らない逸品だと思います。

 私はこの折り畳み式ウイグルナイフブランドを通じて、ウイグルが世界に名を馳せることができるのではとも思っています。


 99年に息子が生まれ、生後40日目にする 「揺りかごの儀」 を終えてベビーベッドに寝かせる前、妻の母がコーランの一節を唱えて祈祷し、魔除けにと義母愛用の折り畳み式ナイフを息子の枕元に置いてくれました。

 魔除けのナイフを枕元に置くのは、赤ん坊を魔物から守り穏やかな安眠を祈願するためのものです。

 息子は小学2年生ですが、魔除けナイフ祈願のご利益があったお陰か、数年後は私共両親の背丈を越える勢いですくすくと育っております。




写真1: 右端のスイカ切り売り屋のおじさんも腰にナイフを提げている。日曜バザール
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写真2: 妻宅にあるインギサ製ウイグルナイフ2本。下は調理用ナイフ
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写真3: インギサ製折り畳み式ウイグルナイフ各種。職人街のナイフ小売店
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江上鶴也
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by oghuzkahan | 2007-06-17 04:11

(26)


…… 台  所 ……

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 (あなたに平安を)



 
 日本では台所・キッチンと言われる食事を作る所がありますが、平屋・2階屋のカシュガル・ウイグル家庭には、特に決められた調理場所はありません。
 多くは中庭の一部にLPガスボンベとコンロを設置し、縁台で食事の準備をしているようです。
 しかし、アパート・マンションは調理をする場所があり、ほとんどは都市ガスが供給されています。

 平屋にも都市ガス供給の計画は以前からあるのですが、各戸は都市ガス設置に醵金しなければなりませんので、生活苦のため負担金を支払えない家庭が多い現状から見ますと、妻宅に都市ガスが供給されるまではかなりの時間が掛かりそうです。


 カシュガル・ウイグルの大多数は低所得者層です。
 電気や上・下水工事、行政の指示でする各自宅前路上修理・拡張工事をするにも負担金が要りますので、日々の生活でさえ青息吐息の現状に追い討ちが加わります。

 住民の基本的生活を保障するのが行政の役目ですが、カシュガルでは最低限の生活でさえ住民の自己責任とするのが現実のようです。
 ですから、貧乏人が地方行政に窮乏を訴えても埒が明かないのは当たり前と言えます。

 そんな行政の隙間を埋めるものとして、ムスリム(イスラーム教徒)の地域共同体相互扶助があります。
 どんなに貧しくとも助け合いの精神で苦難に打ち勝つことを信じて現世を生き抜いているムスリムの拠り所です。

 ムスリムはアッラーの庇護の下、善行を積むことによって来世の幸福を信じますので、何処かで誰かの困り事があれば自己に見合った方法で手助けしなければなりません。

 ムスリムの生き方は、まるで、宮沢賢治の 「雨ニモマケズ」 にあるごとくです。


 2階屋の妻宅には珍しく台所があります。
 妻が2002年に日本から一時帰国した折、台所と水洗トイレ兼シャワー室を設けました。

 砂塵嵐が落ち着いて来た5月中旬、白壁も塗り直して気分一新したところで、妻が、「気候も良くなったので、今日から秋まで中庭で調理をしますから」 と宣言しました。

 中庭調理は雨降り時に難儀をしますが、妻宅はトタン製庇で覆われていますので雨が降っても心配無用で、5月20日の大雨でも雨粒が降込むことはありませんでした。 (24)、(25)参照

 妻は以前から欲しかった耐熱ガラスのガステーブルを購入することも決めてしまっていました。
 ガステーブル価格は、いつもの値引き交渉の末に310元(約5000円)で成立しました。
 魚焼きグリルが無いためか日本の重厚なものではなくすっきりした薄型です。

 5月の予算外出費としましては、デスクトップパソコン(3150元=約5万円)に次ぎます。

 LPガス入りボンベは50~80元(約800~1300円)で、妻宅では毎日3度の食事調理で1ヶ月持ちません。
 冬場はLPガスの消費が少ないため安く、夏場は消費が多いため割高になります。
 5月は53元で購入しましたが、6月は63元でした。
 どこの家庭でも1つ予備があります。

 貧しい家庭では廉価な石炭燃料を使い、中庭に設置した石炭ストーブで調理します。
 農家では薪が主流です。

 日本ではLPガスの家屋内設置が禁止されていると、30年以上前に沖縄・西表島で暮らしていた時に販売員から聞きましたが、新疆ウイグル自治区(中国他地域は不明)では建造物構造上からか禁止されておらずガステーブルの傍に置いています。

 98年夏から3年ほど暮らしたウルムチ(新疆ウイグル自治区首都)のマンションでもLPガスで室内設置でした。

 カシュガルの平屋ではほとんどが中庭にLPガスを置いているため、ガス爆発の危険性はきわめて少ないと思われます。

 LPガスは移動が自由なため、調理場所を選びませんが、カシュガルでは将来、平屋・2階屋にも都市ガスが供給されますので、妻宅のような決められた調理場所(台所)が出現し、ウイグルの生活に変化をもたらすかも知れません。




写真1: 夏場の調理場所を中庭に設置。縁台代わりのベッドで食事準備する
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写真2: カシュガル郊外の妻親戚農家のカマド。冬は左側の石炭ストーブで調理する
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写真3: 農家の湯沸し専用カマド。土台は洗面器が使われている
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江上鶴也
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by oghuzkahan | 2007-06-14 10:23

(25)


…… 慈  雨 ……

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 (あなたに平安を)



 
 数日来、昼間の晴天が嘘のように、夜半に砂塵嵐が起こり、風に煽られた妻宅の2階部分を覆うトタン製庇が軋んで音を立てています。

 特に4月中旬からの砂塵禍で、私の喉は悲鳴を上げており、一時は声が出なくなっていました。
 砂塵吸引のためか咳が止まりませんので、気温が一定になり、春の砂塵嵐が去るのを首を長くして待っている状態です。

 息子も私と同じように咳き込むことがありますので、砂塵との付き合いが無かったため呼吸器系器官が順応しておらず拒絶反応を起こすのではないかと思います。

 液体や固体の喉薬を服用しても効果薄く、勧められて常時、白湯を飲んでもいるのですが、中年の弱った身体が回復するには時間が掛かりそうです。

 喉に優しい日本の湿った空気を吸えば、たちどころに受難から解放されそうですが、夏の帰国までは2ヶ月間ありますので、何とか砂塵に打ち克ちたいものです。


 5月20日午後4時過ぎ、雷鳴とともに雨が激しく降り出しました。
 突然、妻宅のトタン製庇へ満杯のバケツをひっくり返したかのような轟音がしましたので、1階の自室にいても待ちに待った降雨であることが分かりました。
 2ヶ月振りの雨でした。

 砂嵐の時期には、一雨降れば良いのにと、誰もが雨を乞います。
 雨は空中の砂塵を落とし、建物に降り付いた砂塵を洗い流しますので、煤けたような町をさっぱりとさせてくれます。
 ですから、建物から流れ落ちる雨水も路上を流れる雨水も泥水です。

 降雨は半時間ほど続きました。
 日本では夕立と言うのでしょうか、朝から曇り空でしたし、大雨でしたから、にわか雨ではないようでした。

 因みに、にわか雨を日本語は「狐の嫁入り」と言いますが、ウイグル語では「狼の出産」と言います。

 ウイグルの出産についても狼と狐の例えがあります。
 出生した赤ん坊の性別を尋ねる時、「狼ですか狐ですか」と表現することもあるそうです。
 男の子ならば狼で、女の子ならば狐と答えるそうです。
 
 狐は農耕の神、狼は狩猟の神とも言われています。
 日本の狐とウイグルの狼、どちらもシンボル的な動物ですので、狐と狼で表現されるそれぞれの民族・民俗文化を比較するのも面白いと思います。


 カシュガル住民はこのような激しい雨はめったに降らず、しかも直ぐに止むことを知っていますので、妻宅近くの職人街では、店外の商品を取り込み仕事の手を休めて雨空を眺めているか、客足が遠のいたので早めに店を閉めてしまうかします。

 雨が止むと、自宅前路上に女性がたむろし、路上に溜まった雨水を処分し始めます。
 妻宅前路上にもご近所の女性が集まり、妻と若い女性5、6人が開けた下水マンホールへ盛んに雨水を流し込み始めました。
 妻宅のご近所に普段は見掛けない若い女性がけっこういることも分かりました。

 女性がする最初の家事が中庭・廊下・階段や自宅前路上の掃き掃除ですので、雨水処理も同じ箒で実に手際が良く10分ほどで終わってしまいました。

 各戸に水道がなかった時代の水運び仕事もそうでしたが、雨水処理も女性と子供の仕事です。
 ただし、水溜りの窪みを直し路面を平坦にするため、敷かれた六角形コンクリート板を剥がして道修理する場合は男性の力が要ります。 (5)参照

 翌日の朝方は、湿気を含んだ空気がひんやりとしており、束の間の涼気が感じられました。
 しかし、昼近くになりますと強い日差しに晒されて、昨日の激しい雨など無かったかのようにいつもの乾いた路面になっていました。

 この慈雨を契機に、喉の痛みから解放され咳が止まることを願っていたのですが、午後から強風が吹き始めましたので、また砂塵攻撃の矢面に立たされてしまいました。




写真1: 突然の大雨に驚く息子。妻宅前路上
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写真2: 職人街も人通りが途絶えた。傘を持っている人は少ない
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写真3: 路上の雨水を処分するため下水マンホールに流し込む
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by oghuzkahan | 2007-05-23 13:59

(24)


…… 砂 塵 禍 ……

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アッサラームアレイコム
 (あなたに平安を)



 
 4月中旬になって、一気に最高気温が30℃を超えました。
 しかし、朝夕は涼しく、温度差が20℃ほどあったりましすので、体調を崩します。
 その上に、砂嵐のため小麦粉のような微細な砂塵が降り注ぎますので、微粒子が体内に入り込んだ影響からか、頭痛がして気分が悪くなります。

 日本では、春先の花粉や黄砂で被害を受けますが、年中砂塵が舞うカシュガルでは、特に春の気温上昇に伴い強風が吹き荒れてタクラマカン砂漠の砂が上空に舞い上がったものが降り注ぎます。

 地元では 「土が降る」と言います。

 町中は砂塵で覆われてしまい、人体のみならず生活上にも影響があります。
 商店は客足が減りますし、視野が悪いため飛行機が運休し交通事故も発生します。

 砂塵時は外出時に大き目のマスクをしませんと喉が腫れて痛くなります。
 家の中に居ても砂塵が舞い込みますので咳が出ます。

 5月中旬も砂嵐があるとの予報ですから、カシュガル方面旅行は6月以降をお薦めします。


 妻宅では昨年夏前、砂塵・直射日光・雨避けにと、2階部分一面を覆うトタン製庇を取り付けました。
 費用は約3700元(=約6万円)掛かりました。
 庇設置は昨年8月中旬に亡くなった妻母親の強い希望でした。
 
 しかし、日中は気温30℃以上の上に強い直射日光がトタン庇を焼きますので、冬中暮らした石炭ストーブのある2階は、午前中は過ごし易いものの、夜になっても熱気がこもって暑いため、2階から1階へ撤退しなければなりません。
 暖房設備が無いため冬中使用しない1階は、夏は冷房不要ですので快適安眠できます。


 冬の石炭ストーブ煤煙や春の砂塵を吸引しているカシュガル住民を健康診断してみれば、きっと呼吸器系器官異常が見つかることでしょう。

 健康保険医療が整っていない中国では、入院・手術治療を受けるには手付け金が要り、また多大な治療費が掛かりますので、収入の少ない家庭では大問題です。

 カシュガルでは病院経営が稼げることを知った医者達が独立開業して競合しており、治療費が安い旨をうたい文句とした各種総合・専門病院のテレビコマーシャルが盛況です。


 以前、ご紹介しましたが、夜明け前礼拝後に女性が最初にする家事は、中庭や門前路上の掃除です。
 水を撒き、前日に降った砂塵を箒で掃き除きます。

 春の砂嵐時は、中庭、廊下、階段に積もった砂塵をモップで拭き取り掃除しますが、翌日も同じことをしなければなりませんので、この時期は砂との戦いです。

 まるで、安部公房氏の小説「砂の女」にある、毎日砂を掃き出さなければ埋もれてしまう家のごとくです。

 たまにモップ掃除を手伝いますが、モップに付いた砂塵を洗い落とすだけでも重労働です。

 長期間留守にしますと、帰宅してからの掃除が大変です。

 しかし、壁に張り付いた砂塵は掃除せずに、年に数回白壁を塗り直します。
 また、冬中、石炭ストーブの煤で汚れた部屋の壁も塗り直します。

 砂塵のためか、まだ年数が経っていない高層ビルは、まるで老朽化したビルのような外観です。

 もしも、何らかの理由で、カシュガルが無人になったとしたならば、数年数十年後には砂に飲み込まれてしまい、つい最近まで人の営みがあったことさえも感じさせない遺跡と化していることでしょう。




写真1: 妻宅の2階部分一面を覆うトタン製庇。夏は熱がこもって暑い
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写真2: 砂塵が降った中庭をモップ掃除する
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写真3: 白壁塗り。すぐに乾いてしまうので簡単
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by oghuzkahan | 2007-05-08 21:41

(23)


…… 三彩陶器 ……

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 (あなたに平安を)




 85年の春、初めてのカシュガルをうろついていた時、目に入ってきたのが焼き物バザールでした。

 出版が近いカシュガル紹介本によりますと、現在地にあるカシュガルの焼き物バザールは、400年以上の歴史があるとのことです。

 店外に雑然と置かれてあった焼き物は、小さな茶碗から大きな水瓶までありましたが、その色遣いに驚きました。

 一見、日本の美濃焼(織部、黄瀬戸)のような見慣れた焼き物がそこにありました。


 751年、アラブ(アッバース朝)と唐との戦いが、現在のカザフスタン領天山山脈西北麓のタラス河畔でありました。

 敗れた唐軍の捕虜に紙漉き工がいましたので、イスラーム世界に製紙法が伝授されたことは有名です。
 また、捕虜の中に陶工もおり、唐三彩技法が伝授されて、後のペルシャ三彩になったとも言われています。


 そのカシュガルの焼き物を見ながら、もしかしたら、タラス河畔の戦いでアラブ軍の捕虜となった唐軍の陶工とは、カシュガル出身者ではないかと夢想しました。

 唐軍と言っても編成は西域少数民族の寄せ集め軍隊でしたから、唐軍の先頭に立ったのは、当時、カシュガル方面に居住していた、トルコ系のカルルク(現在のカシュガル人祖先?)であったろうと思います。

 歴史書(資治通鑑)には、このカルルクがアラブ軍に寝返ったことにより唐軍が敗れた経緯記述があります。
 今も昔も、カシュガル・ウイグルの日和見主義的な生き方は変わっていないようです。
 

 トルファン出土の唐三彩から推測しますと、洛陽で興った唐三彩(初期唐三彩は専ら皇族、貴族の明器=墓副葬品)が、トルファンでも焼成されていたように思われます。

 もしかしたら、630年頃、インドへ向かう途中、トルファン(高昌国。640年滅亡し唐の版図となる)に立ち寄った唐高僧・玄奘三蔵が、トルファンで作られた墓副葬品の唐三彩(三彩陶器は2000年ほど前の「漢三彩」が起源とされる)を見た可能性もあると思います。

 トルファンで作られた唐三彩が、やがてソグド商人によってカシュガルに伝わり、現在の実用器物の 「カシュガル三彩」 として生き残っているのではないかと想像します。


 遣唐使や留学生・僧によって唐三彩が将来され、やがて日本で最初に釉薬をかけて焼いたとされる奈良三彩が製作され広まったのも同時期であったことでしょう。

 そして、奈良三彩の影響で後年、キリシタン大名で千利休の弟子・古田織部が考案したとされる織部焼が生まれたとのことです。

 もっとも織部焼は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役 1592~98)で連行されて来た李朝の陶工たちが、日本各地に窯を開き技術を伝授した結果であることは疑う余地はありません。

 ですから、「カシュガル三彩」 と織部焼は遠い親戚であると無理矢理結論づけました。
 
 こじつけで恐縮ですが、カシュガルと日本の三彩が時空を超えて繋がりました。


  注: 「カシュガル三彩」 の命名は便宜上。唐三彩の西域来歴記述は推測。




写真1: 85年春に買った 「カシュガル三彩」 の茶碗
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写真2: 焼き物バザール。どこも外に陳列している
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写真3: 今年開業した食堂が使う特注オリジナルの 「カシュガル三彩」 どんぶり
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by oghuzkahan | 2007-04-04 20:46

(22)


…… 焼 き 物 ……

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 ちょうど22年前の85年春、砂が飛び交い視野もおぼろげなカシュガルで、すばらしい焼き物と出会い感激しました。

 日本の民芸運動家の故柳宗悦氏(1889~1961。無名職人が作る大衆的な日用雑貨品を工芸品として発掘、収集、紹介、評価した)も、素朴さ満点なカシュガルの焼き物にきっと興味をもたれたことでしょう。

 ただ、カシュガルの焼き物にも、雑なところが散見されますので、仕事の取り組み方などに関して、「もっと職人魂を持って仕事に臨みなさい」 などと叱咤されるべきなのですが、聞く耳持たず、逆に喧嘩を売る気かと反駁されること必至ですので、カシュガルでは高飛車に意見するなかれが暗黙の了解です。

 もうちょっと頑張って仕事してくれるならば、世界的に評価されるようなすばらしいものがいくらでもあるのに、と無責任な他所者が声を大にしても、当人達は知らぬ顔です。

 食堂の味もしかりで、ものすごく美味しいラグメン(皿うどん)を味わって感激し、次の日も同じ注文をしてみますと、同じ調理人が作ったにもかかわらず、全く違った味に失望することが度々あります。

 よそ目には太鼓判を押せるほどの好い加減なカシュガル・ウイグルの生き方ですが、頑なであるからこそ注目もされず、外敵も競合もなく、まるで遺存種のごとく悠久の歴史を生き延び、また周りを気に掛けることもなく堂々と未来に立ち向かっているかのごとくですから、ご立派です。

 カシュガルには、トルファンのように誇れる歴史的観光名所はほとんどありません。
 カシュガル最大の見せ場であり魅力は、カシュガル・ウイグルの生き方なのかも知れません。


 さて、春の砂霞に突然、目の前に出現した厚みのある粗っぽい作りのカシュガルの焼き物は、一瞥しただけで、きっと焼成温度も低くて、割れ易いのだろうと想像に難くありませんでした。

 しかし、この焼き物との邂逅に気を良くしてしまい、早く自分のものにして終日、眺めていたい衝動に駆り立てられてしまいました。

 値引き交渉もしないまま、大きめの茶碗とドンブリを2個ずつ買い求めました。
 確か1個1元(当時の1元は約90円)ほどでしたから、今から思えば少しぼられていたはずです。
 現在の価格は、1個5元(=約80円)から10元です。


 因みに、昔はぼるにしても、大体、倍ぐらいでしたが、今では10倍100倍と質が悪くなっています。
 特に適正価格の分からない外国人には、法外な値段を吹っ掛けるだけ吹っ掛けてやろうと虎視眈々と狙っています。
 もっとも、購入価格に関しては買い手の自己責任ですから、取引後にぼられたと言うのもおかしな話です。


 自分のものになった焼き物を手にして眺めては、嬉しくてすごく得したような気分に浸り、挙げ句の果てには、カシュガルに来たことの意義をこの焼き物に求めようとさえしました。

 後日、そんなに衝撃は無かったものの、それぞれ1個ずつが割れてしまいましたので、思った通りのもろさでした。
 運良く割れずに残ったものは、22年経った今でも大事に保存してあります。



写真1: 知り合いの焼き物屋主人と話をする (86年)
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写真2: 日曜バザールの簡易食堂の姉妹。当時は焼き物が使われていた (85年)
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写真3: 割れずに残った85年春購入どんぶり。22年経つ
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江上鶴也
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by oghuzkahan | 2007-04-03 17:31

(21)


…… アルファルファ若葉ワンタン ……

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 (あなたに平安を)




 カシュガルの春の風物詩は、アルファルファ若葉ワンタンで、水餃子と同じくスープなしで食べます。

 作り方は、① アルファルファの若葉をみじん切りにし、② 油少量の弱火で炒めた味付けなしの具を、③ 餃子皮よりも薄い皮で小さく包み、④ 水餃子と同じように煮ます。 

 水餃子と同じく、黒酢に唐辛子を少量加えたものにつけて食べます。

 カシュガルっ子は、このアルファルファ若葉ワンタンを食べずして、春を迎えられないそうです。


 アルファルファの日本名はムラサキウマゴヤシ(紫馬肥やし)で、中央アジア原産です。
 マメ科の植物で、家畜に与える飼料作物として栽培され、夏に濃紫色から白色の蝶形花を付けます。

 アルファルファは、アラビア語の al-fisfisha (全ての食物の父)が語源と言われています。

 また、日本では 「糸モヤシ」 とも言われており、食物繊維が豊富で、栄養価が高く、ビタミンC、カリウムなどが含まれ、スプラウト(新芽野菜、モヤシ)の状態でサラダなどに使われているとのことです。


 今年はカシュガルも暖冬でしたので、3月初旬からアルファルファ若葉が出回り始めました。
 4月初旬の今でもまだ売っているのですが、もう旬の味ではないとのことです。
 出始めは1㎏=40元(約640円)でしたが、4月2日現在は1㎏=2元(約16円)です。

 アルファルファ若葉は春先にワンタンの具にするだけで、新芽のモヤシ状態で食べることはありません。

 ウイグルがサラダを常食するようになれば、アルファルファ・モヤシがもっとも身近な生野菜となるのではと思います。

 ウイグル語で、アルファルファを 「ビダ」 と言いますが、アルファルファ若葉は 「キョック」 と言います。

 キョックは、「青色、天空、緑草」 と言う意味です。

 「守護神・蒼き狼に導かれ国が興る。死後の魂は鳥となって蒼穹を翔る。天の慈雨が新緑を生み畜養し民を養う」
 こんなイメージのウイグルの自然観を表す 「キョック」 は、モンゴル高原で興った遊牧騎馬民族の先祖から綿々と引き継がれてきたものではと、アルファルファ若葉の匂いを嗅ぎながら夢想に耽っています。

 ですから、「キョック」 は、青々とした空や水や草のみならず、生死や森羅万象を意味していたのかも知れません。

 案外、語呂合わせで、アルファルファ若葉の 「キョック」 を食べるのではないかなと思ったりしています。

 日本の七草粥のように無病息災を祈って食べることでも無いようです。

 一般的には、冬中、新鮮な野菜を摂ることがなかったため、新緑の力強い息吹を取り入れて活力を付ける意味で、春一番に若葉を出すアルファルファを食べるとのことです。

 しかし、(17)でご紹介した、冬でもハウス栽培の新鮮野菜が食べられるようになった今では、春一番の野菜としてのアルファルファが疎んじられるようになるかも知れません。

 そんなことで、いつまで春の風物詩としてアルファルファ若葉ワンタンが受け入れられるのか興味があります。

 因みに、中国語でワンタンを 「馄饨」 と書き、「馄饨」 の呉方言(上海方言)が、日本語の 「うどん(饂飩)」 のルーツだそうです。

 折角、作ってくれた妻には悪いのですが、草そのものの味がするアルファルファ若葉ワンタンを一口食べただけで吐き気がします。

 私の口には合わないのですが、春はアルファルファ若葉ワンタンからと、いつまでもウイグルの春の風物詩であって欲しいと願います。




写真1: 春の風物詩、アルファルファ若葉 「キョック」 バザール
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写真2: みじん切りにしたものを、油少量の弱火で炒めた味付けなしの具を包む
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写真3: 石炭ストーブで煮炊きできるので冬中重宝する
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江上鶴也
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by oghuzkahan | 2007-04-03 04:08

(20)


…… チャイハナ(喫茶店) ……

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 (あなたに平安を)



 チャイハナ(喫茶店)は、カシュガルでは無くなる寸前の商売です。

 85年の春、初めてのカシュガルは、見る物全てが物珍しく、バカチョンカメラを片手にうろついてはシャッターを切りまくっていました。

 歩き疲れると、カスカン通り(職人街)にあったチャイハナで一休みするのが日課でした。
 毎日、午前と午後の2度、そのチャイハナに顔を出していましたので、いつしか顔馴染みになり、常連さんたちと言葉を交わすようになりました。

 そんなことで、チャイハナが私の実践ウイグル語会話教室となりました。
 ですから、私は本当の 「お茶の間留学」 でウイグル語を勉強したのです。

 毎日何度となく、「どこから来た」、「何歳」、「仕事は何」、「腕時計はいくら」などと質問攻めでした。
 ウイグル語が話せなかった頃は、「ヤポーニヤ(日本)」、「オットゥズ(30)」などと返事していましたが、相手にも同じ質問をするようになってくると、会話のコツが分かってきたように感じられました。

 チャイハナは地域の社交場です。
 現在のチャイハナは、お年寄りたち(男性)の憩の場です。

 私がいつも通ったカスカン通りのチャイハナは、職人たちが休憩に利用したり、郊外から買い物に来た人たちが休憩したりする所でした。

 真偽のほどは定かではありませんが、チャイハナと理髪店には警察の間諜が出入りしており、世間話に反政府的なものがないか聞き耳を立てているようだとの噂もあります。

 もしかしたら、警察の援助で営業しているチャイハナがあるかも知れません。

 21世紀のカシュガルは、チャイハナ商売で暮らしていけるような時代では無くなりました。
 チャイハナから食堂に鞍替えするか他業種に商売替えするかして廃れてしまいました。

 私が通っていたチャイハナは、2年ほど前に廃業して以来、店舗を貸しています。
 元チャイハナ主人曰く、賃貸の方が楽でのんびりできて楽しい、とのことです。

 「この界隈ではここ一軒のみになってしまった」 と、エティガモスク近くにあるチャイハナ主人が言っていました。
 このチャイハナでのんびりと世間話する間も、誰かのポケットから携帯呼び出し音が聞こえてくる時代です。
 
 チャイハナのお茶は(7)でご紹介しました、廉価なカラチャイ(茯茶)ですから、嗜好が紅茶に替わりつつあるカシュガルではチャイハナを必要としなくなったのでしょうか。

 今後、ウイグルの生活変容に拍車が掛かれば、トルコに憧れていることもありますので、洒落たガラスコップ(チャイグラス)に淹れたトルコ風チャイを飲む、憩い・社交場としての垢抜けたチャイハナが出現するのではないかと当て推量しています。

 経済成長著しい中国の片隅にあるカシュガルは、一見すごくのんびりとしているかのようなのですが、私が知る80年代の雰囲気は感じられなくなっています。

 文化大革命(66年~76年)から復興しつつあった80年代のカシュガルを知っておられる方は幸運と言えるかも知れません。

 それとも、トルコ風チャイを飲ませる未来のチャイハナに期待を寄せられてはどうでしょうか。



写真1: チャイハナの看板。カシュガルのチャイハナは数少なくなった
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写真2: リストラに遭ってからチャイハナを開業したという経営者
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写真3: チャイハナで休憩する客。民家をチャイハナにしている
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by oghuzkahan | 2007-03-31 23:33

(19)


…… 割れ物継ぎ ……

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 日本の伝統工芸の一つに、 「金継ぎ」 と言われる、割れた陶磁器の修理方法(割れた箇所を漆で接着後、割れに沿って金で装飾)があります。

 「金継ぎ」 の代表的なものに、桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した本阿弥光悦の茶碗 「雪峯」 (畠山記念館収蔵)があります。


 カシュガルには、日本の 「金継ぎ」 のような工芸ではありませんが、つい最近まで家庭で使われる陶磁器製食器類を修理する仕事(割れた箇所を膠で接着後、コの字型釘で固定)がありました。

 ウイグルの生活が向上した証でしょうか、最近は割れた食器類をわざわざ修理してまで使うことはなく、また、以前修理した食器類を使うことも残して置くこともないようです。

 そんな理由で仕事が無くなってしまい、修理屋の小父さんの姿が見えなくなってしまいました。

 私が知っている修理屋は、カシュガルの中心地にあるエティガモスク前で仕事していた小父さんと、路地裏を回り各戸の前で仕事していた小父さんの2人です。

 昨年夏、妻が修理屋の小父さんをどこかで見かけたらしいのです。
 暖かくなって、もし修理屋の小父さんをどこかで見かけることがあれば、仕事ぶりをビデオ撮影させてもらいます。
 廃業していれば探し出してビデオ撮影に協力してもらうつもりでいます。
 いずれにせよ、修理屋の小父さんが健在でおられることを願っています。

 かつて、ウイグルの生活に密接に関わり合いのあった陶磁器製食器類修理業は、誰もが貧しかった頃の職業ですから、ウイグルの生活が豊かになりつつある今、廃れるのも時代の趨勢であるようです。

 バザールで廉価な気の利いた新品がいくらでも買えますので、貧乏くさくて格好悪い修理した食器類は、ゴミに棄てられる運命です。

 残念ながら、カシュガルでは継ぎ物の食器類に価値を見出せないようですが、その内、アンティークショップで高値取引されるのかも知れません。

 ウイグルの生活歴史文化品として博物館や資料館で展示・保存されることを望みます。

 ウイグルの生活文化が大きく変わる節目と思われる現在、古いからと言って簡単に反故にすることなく、貴重な文化遺産として保存や記録することをみんなで考えて欲しいのですが、理解してもらうには随分時間が掛かりそうです。




写真1: 仕事中の陶磁器食器修理屋 (85年)
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写真2: 割れた食器を修理してもらいに来た子ども達 (85年)
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写真3: 修理された大皿
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